変則勤務で更新が滞りがちで、数少ない訪問者の皆さんにはお詫びする
さて、話題の豊富性と、切り口の鮮やかさで何時も感嘆するブログ
あんた何様?日記の12月8日で愛国心を取り上げていたので、無断ではあるが、一部引用させていただく。
そもそも
愛なる字は日本人は多用して来たんだろうか?古典に疎く自信は無いが、せいぜい
慈しむ、
思う、
思慕の情これ位ではないのかなあ。
最近はやたらと
愛何とかが多用されるが、なんかなあ。もっとも
愛と平和は最近の教育基本法改正に反対するプロ市民なる無責任団体の専用語というか、お題目とでも言う安っぽさに化けてしまったが。以下一部引用
”
愛国心は単純な物じゃない。 前略・・・そして、普段の生活の中で、四季の移り変わりや伝統文化に触れたりして、「日本でよかった」と誰しもが思う
愛国心は、
戦争中の愛国心とはまったくの別物であり、
愛国心と言っても一括りできず様々な面があるのですが、・・・後略
この2つの異なる愛国心なるものの区別が、左翼的頭脳の集団には全く理解不能なんだろうと思う。いくら理路整然と説明したって一種のカルト思想には通じるはずもなく、あろうことか、
ごく普通の政治思想の人間にとっても、曖昧なんだと思う。例えばこんな例えではいかがだろうか。
人間誰しも食事をする。食べた時感じる
旨さはひとそれぞれであり、しかも年齢、人生経験で感じ方が違うのが当たり前ではあるが、それでも、美味しかったか?と質問すると不味くなければ美味しかった、
旨かったと返事がくる。美味しい、
旨いの本当の意味合いはばらばらではあるがそれでも、大差は無いと思う。
一方、大人の仲間に入ると法律上許される物に煙草と酒がある。酒はさて置いて、煙草を例に取ると、好きな人にとり、食後の一服は最大の楽しみであり、満足しつつ
旨いと感じる。しかしこの煙草も最初から旨かった訳ではない。幼少のころ、火鉢で煙管をくゆらす親父が席を外した時、見よう見まねで刻み煙草を詰め、吸ったが不味いし、咳き込むし散散な目にあったことがある。勿論見つかって怒られたが、大人にならなければ
煙草の旨さは判らないと親父は言い、それがどんな旨さなのか想像をふくらましたが、例の悪戯の結果もありいつしか忘れてしまっていたが、成人後なんかの折に喫煙した時、昔の親父の言葉を思い出し、これが
煙草の旨さかと納得したものである。要するに、
旨さといっても食物から感じる旨さと嗜好品から感じる旨さでは同じ字面であっても天と地の違いがあるということである。おそらく愛国心なる言葉も同じなんだと思う。♪わっかるかな?♪